2013年9月13日金曜日

新型出生前診断と次世代シーケンシング

 日本で今年4月初めから開始した「新型出生前診断」の3ヵ月間の実施結果が7月17日に公表された。この「新型出生前診断」が次世代シーケンサーを用いた分析法であることが意外と知られていない。今回のGOクラブでは、次世代シーケンシング(NGS)の出生前診断への応用についてまとめてみたい。


新型出生前診断と次世代シーケンシング

2013年09月13日 掲載
  日本で今年4月初めから開始した「新型出生前診断」の3ヵ月間の実施結果が7月17日に公表された。この「新型出生前診断」が次世代シーケンサーを用いた分析法であることが意外と知られていない。今回のGOクラブでは、次世代シーケンシング(NGS)の出生前診断への応用についてまとめてみたい。

胎児のDNAが母体の血液中に漏れ出る現象に着目

  妊婦の血液中に存在する胎児由来DNAに基づく検査は、正式には“Non-Invasive Prenatal Test(無侵襲的出生前検査; NIST)”などと呼ばれるが、日本では新聞などの報道では「新型出生前診断」と呼ばれている。この「新型出生前診断」は、Loらのグループが1997年に妊婦の血液・血清中に胎児DNAが混入しているという発見に基づく。その後の研究により、妊婦の血液中のセルフリーDNAのうちの3~13%が胎児由来であることがわかった。母体血液中に胎児DNAが存在することは、胎児の細胞がアポトーシスにより壊れる際に分解したDNAが母体の血液中に漏れ出ることに起因する。細胞のアポトーシスにより、クロマチン中のヒストンに巻き付いたコア粒子の間で分断が起こるために、DNA断片の長さは短く、多くは140~150 bp程度である。

 この胎児DNAに着目して、米国では少なくとも6社がダウン症など常染色体(21番、18番、13番染色体)のトリソミーや性染色体の数的異常に関する診断法を確立した。(1) Sequenom, Inc. (Sequenom)、(2) Verinata Health、(3) Ariosa Diagnostics, Inc. (Ariosa) ならびに(4) Natera, Inc. (Natera) の4社がNGSを用いる診断法を開発したが、これらの診断法の詳細は後述する。

 NGSを用いない方法としては、(5) Lenetix, Inc.(2010年3月にBioReference Laboratories, Inc.によって買収された)は母体DNAと胎児DNAのメチル化度の違いに着目して胎児DNAを増幅し、マイクロアレイを用いて染色体コピー数を推定する方法を開発し、また(6) Fluidigm Corporationは、Digital PCRに基づく方法を開発した。

SequenomのNGS-MPSS診断法“MaterniT21 PLUS”

 Sequenomは、質量分析計を用いて胎児DNAのSNP(1塩基多型)と母体DNAのSNPを検出し、両者の比を求めることにより21番染色体の診断を行う手法“SEQureDx”を開発し、2009年に上市する予定であった。ところが、臨床試験におけるデータ分析の取扱いに不備があったために、SEQureDXは結局上市に至らなかった。詳細な理由は、Wikipediaを参照してほしい。

 Sequenomは、 このSEQureDxの開発とは別に、「母体血液中の胎児DNAに関する研究」の第一人者であるYuk-Ming Dennis Loらの特許権(United States Patent 6,258,540 )の独占的ライセンスを受けて、NGSを用いるMassive parallel shotgun sequencing(MPSS)法に基づくトリソミー診断法“MaterniT21 PLUS”の開発を進めてきたが、2011年10月に診断サービスを開始した。

 Sequenomは、Illumina HiSeqシーケンサーのショートリードと膨大なシード数の利点を生かして、母体血液中のセルフリーDNAの配列を網羅的に決定することにより、21番染色体のトリソミー(Down syndrome)を同定できるほか、13番染色体のトリソミー(Edwards syndrome)と18番染色体のトリソミー(Patau syndrome)の同定ならびに性染色体の異数性異常(X、XXX、XXY、XYY)も同定できることを明らかにしている。

 Sequenomの方法は、ランダムに決定された配列リードを染色体にマッピングして、対象染色体にマップされる配列数が、コントロール(正常群)と比べて有意に増加しているかどうかを判定するZスコアを計算し、染色体の異数性異常を判別している。MaterniT21 PLUSのトリソミー診断の精度は優れている(下表参照)。なお、感度は99.1%なので、陽性の漏れが0.9%存在するので、この検査で21番トリソミーの陽性を見逃す可能性もある。逆に、陰性と出た場合には、100%に近い精度になる。

 感度=真陽性/(真陽性+偽陰性)特異度=真陰性/(真陰性+偽陽性)
21番染色体トリソミー99.1% 99.9%
18番染色体トリソミー99.9% 99.6%
13番染色体トリソミー91.7% 99.7%



Verinata HealthのNGS-MPSS診断法“verifi test”

  Verinata HealthもSequenomのMPSS法と同様のトリソミー診断法“verifi test”を開発し、2012年3月に診断サービス(21番、18番、13番染色体トリソミーおよび性染色体の異数性異常の検査)を開始した。Verinata Healthの診断法は、Stanford大学のQuakeらが開発した手法を採用しており、Stanford大学から本手法の特許の独占的実施権を取得している。

 データのばらつきを減少させるために、各染色体に対してNormalized Chromosome Value を算出するSAFeR法を開発するとともに、経験的な分析結果をもとに最適な参照ゲノムデータを得ている点が特徴的である。Verinata Healthのverifi testの精度も非常に高く、Sequenomの方法の精度と同等である。ただし、verifi testを用いた性染色体の異数性異常の診断精度については、症例数が少なく、明確になっていない。

 Verinata Healthは、Illuminaによって2013年1 月に4億5千万ドルで買収されたことでも有名である。Illuminaは、出産分野におけるNGSビジネスが大きくなると予想し、Verinata Healthの買収に加えて、2012年9月にBlueGnomeを買収しているIlluminaの発表によると、2013年には非侵襲的出生前診断の市場は6億ドルを超え、今後5年以内に米国では毎年150~200万件の非侵襲的出生前診断が行われると、Illuminaは予想している。

分析コストが安いAriosaの“Harmony Prenatal Test”

  Ariosaは、21番染色体または18番染色体の中の特定な領域をPCRで増幅し、NGSでシーケンシングした後、FORTEと名付けたアルゴリムを用いてデータ解析を行うことにより、染色体の異数性異常を判定している。特定領域のPCR増幅は、右図に示すIlluminaが開発したGoldenGate Genotyping Assay法を用いて行っている。具体的には、ターゲット領域を連続する3つ(LeftMidRight)に分けて、MidオリゴDNAの左にはUniversal PCR primerの配列(SeqR1)を付加したオリゴDNA(Left)、MidオリゴDNAの右にはUniversal PCR primerの配列(SeqR2)を付加した5'リン酸化オリゴDNA(Right)、ならびに5’リン酸化MidオリゴDNAを染色体DNA(Mid)を鋳型としてハイブリダイズさせた後、Universal PCR primerを用いてPCRでターゲットDNAを増幅する。なお、Ariosaは、このターゲット領域の増幅方法を“DANSR法”と呼んでいる。

 Ariosaの診断方法の利点は、Illumina HiSeqのリード数が41万と少ない数でもトリソミー判定を行える点である。したがって、コストが安価になるので、解析料金も安くなる。Ariosaの方法の21番および18番トリソミー診断精度は上述のSequenomや Verinata HealthのMPSS法と概ね同等であるが、13番トリソミーの診断精度は良くない。Ariosaは、この診断法を“Harmony Prenatal Test”と名付けて、2012年5月から診断サービスを提供している。

精度が高いNateraの診断法“Panorama Prenatal Test”

  Natera(以前は、Gene Security Nerworkという社名であった)は、NGSを用いて13番、18番、21番、X、Y染色体の19,488箇所のSNPのタイピングを行い、染色体の異数性異常を判定する手法を開発した。該当領域はMultiplex-PCR法で増幅し、19,488箇所の増幅DNAの配列をIlluminaシーケンサーで一気に決定するという方法である。このNateraの診断方法(Panorama Prenatal test)は、他の企業の方法と比べて、検査した症例数は少ないが、感度が100%で、偽陽性も0%であり、精度が最も優れている。現在、このNateraのPanorama Prenatal Testは、NIHのグラントも受けて、症例数を増やして臨床試験を行っている。

日本での新型出生前診断の実施結果

 今年4月から始まった新型出生前診断は3ヵ月間で全国で計1534人が利用し、全体の1.9%に当たる29人で「陽性」と出たことがわかった。この新型出生前診断は米国の企業に依頼して行っているが、どの企業に依頼したのか公表されていない。陽性の内訳は21番トリソミーが16人、18番トリソミーが9人、13番トリソミーが4人で、実際には異常のない「偽陽性」も2人いた(朝日デジタルに掲載された記事のデータを参照)。

 新型出生前診断の上述の精度から、29人の陽性のうち、2人が偽陽性であったことは意外と感じる方もおられるだろうが、Sequenomの陽性的中率は80~95%であるため、この値となる。なお、20歳代を対象とした診断では、この陽性的中率は50%と低くなる。新型出生前診断の「感度」「特異度」「陽性的中率」に関する詳細な説明は、別のウェブサイトの記述も参照してほしい。

新型出生前診断を巡る特許戦争

  少なくとも4社が競って新型出生前診断のサービスを開始しているので、4社の間の特許戦争も激しくなっている。 Sequenomは、 Verinata Healthに対して特許権侵害訴訟を起こしている上、特許権侵害でAriosaとNateraも告訴した。その一方で、 Verinata HealthとSanford大学は、Sequenomに対して特許侵害であると提訴している。Sequenomは、非侵襲的出生前診断に対して広い請求項を持つLoらの特許の独占的ライセンスを受けているので、特許戦争面では優位な立場にあるように思える。

 しかしながら、Sequenomの診断を含めて、多くが公的研究グラントを受けた研究の成果をもとに商業化しているので、バイドール法の精神に基づくと、1社だけに独占権を与えることは問題があるとも思える。さらに、仮にSequenomだけに独占権を与えると、Sequenomの診断料がすでに高い上、市民がより良い医療サービスを受けられないという問題も発生しうる。Sequenomが優位な立場に立つ中、Illuminaが今年初めに Verinata Healthを買収したのは、Sequenomに独占的な状況が与えられないと予測したことによると思われる。